神社について

神社について

【神社について】

関東を代表する氷川神社群のなかでも特に由緒ある神社として知られています。

御祭神には、素戔嗚命(すさのをのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)をはじめ、七社大神(しちしゃおおかみ)をお祀りしており、厄除け、安産・子授け、縁結び、家内安全、交通安全など、さまざまな御利益が授かれる神社として多くの人々の信仰を集めています。

社名の由来は、武蔵国一宮として知られる武蔵一宮 氷川神社と、奥氷川神社(上氷川神社)との中間に鎮座していることによるものと伝えられています。

 

また、この三社を結ぶ一直線上の道筋は、古くから神々の御霊が巡る神聖な道といわれ、氷川信仰において特別な意味を持つ場所として語り継がれています。

【由緒】

中氷川神社は、崇神天皇の御代に創建されたと伝えられる歴史ある神社です。古くから地域を治めた武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)の篤い崇敬を受け、武蔵国における重要な信仰の中心として発展してきました。

また、平安時代に編纂された法典『延喜式』にその名が記される式内社であり、国家の安泰や五穀豊穣を祈る祈年国幣社として朝廷からも厚く崇敬された由緒を有しています。

「中氷川神社」の社名は、武蔵一宮 氷川神社と奥氷川神社(上氷川神社)の中間に鎮座することに由来すると伝えられています。古くから両社とともに氷川信仰を支える重要な存在として位置付けられてきました。

 

さらに、中氷川神社は旧入間郡と多摩郡にまたがる92村の総鎮守として広く信仰を集め、御祭神である素戔嗚命(すさのをのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)に加え、七社大神(しちしゃおおかみ)をお祀りしています。長きにわたり地域の人々の心のよりどころとして親しまれ、暮らしの安寧と繁栄を見守り続けてきました。

 

中世には山口城主の崇敬を受け、江戸時代には徳川幕府より社領四石三斗を賜るなど、その由緒と格式は広く認められていました。そして明治維新後には県社の社格を授かり、地域を代表する神社としての地位を確立しました。

【社殿について】

中氷川神社の本殿は、出雲大社に代表される日本最古の神社建築様式の一つである大社造を採用しており、その重厚な構造と堂々たる佇まいは、地域の中でもひときわ格調高い風格を感じさせます。

その歴史は古く、後鳥羽上皇の御代には山口領主・山口家継による造営が行われました。さらに南北朝時代には山口城主・山口高治によって社殿の大規模な修築がなされ、兵火による焼失を経ながらも、山口高忠によって再建されるなど、時代を超えて大切に守り継がれてきました。

 

現在の社殿は、1689年(元禄2年)の本殿造営をはじめ、1839年(天保10年)の本殿上屋の整備を経て形づくられました。その後も昭和・平成の時代に拝殿、幣殿、神楽殿などが整備され、歴史と調和した美しい境内が現在に受け継がれています。

境内には数多くの境内社が鎮座していますが、その中でも広く知られているのが合祀殿です。合祀殿には八坂神社、秋葉神社、市杵島姫神社、諏訪神社の四社が祀られており、多くの参拝者がそれぞれの御神徳を求めて参拝に訪れます。

 

そのほかにも、金刀比羅神社、石上神社、稲荷神社などの境内社が点在し、商売繁盛、学業成就、健康長寿、縁結び、家内安全など、さまざまな願いに応える祈りの場として親しまれています。